弥来成真の世界

瞑想(Meditation)小説。世界の奥へと誘います。

我々はどこから来てどこへ行くのか

我々はどこから来てどこへ行くのか

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実家からは、穏やかな天気に恵まれると、ボリューム感のある大きな大きな富士山を拝むことができます。実家周辺の地域は富士山の裾に位置しているだけに地面がずーっと傾いています。ですから林の中を散歩している時など視界が遮られていてもせっせせっせと上っているときは富士山に向かって歩いているんだなと分かります。遠くから富士山を鑑賞物として眺めるのもいいですが、実家周辺の斜面を歩きながら富士山を眺めていると富士山と地続きに繋がっているんだな~と感じられます。田んぼの近くに小鳥の囀りが聴こえてくる杉林や雑木林があり、その脇を小川がちょろちょろと流れているところがあります。子供の頃から大好きな場所です。陽の光を反射しながら柔らかく揺らめいている小川の水面を見ながら「富士山の雪解け水がこうしてここまで流れて来るずらよ」「意外と冷たくないね」なんていう何十年も前にした祖父母との会話を思い出し、小川の水に触れることによっても富士山との繋がりを感じていたのだな~と思いました。頭のずっと上の方に浮かんだ雲が千切れ千切れて富士山の方まで伸びていって山腹で富士山と交わっていることがあります。子供の頃、その光景をじっと見つめながら何とも言えない妙な感覚を楽しんでいましたが、今になって同じような光景を見つめながら、富士山を仲介して遙か上空の雲と地面にいる自分とが繋がっているという感覚が楽しかったんだろうなと思いました。
「人間は皆、大いなるものに繋がっているのではないか」という私の想いは、こういう体験によって育まれたものなのでしょう。
「我々はどこから来てどこへ行くのか」という根源的な問いも言ってみれば「我々は究極的に何と繋がっているのか」を巡る問いなのでしょう。

  弥来成真 

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