弥来成真の世界

瞑想(Meditation)小説。世界の奥へと誘います。

プラナリアの気持ちと「私」性

プラナリアの気持ちと「私」性

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プラナリアって知ってますよね?
見た目はナメクジに似ているあの驚異的な再生能力の持ち主です。頭と胴を真っ二つにしても、それれの体の断片から足りない部分を再生してしまう、、、頭だけの欠片からは胴体が、胴体だけの欠片からは頭が再生されて、二体のプラナリアになってしまうというあいつらです。体のどこを何分割してみても、どの肉片からも完全体を生成してしまうというのだから、あっぱれ、あっぱれ。だってさあ、尻尾の先っちょしかないのにそこから胴体と頭まで出来ちゃうだぜ~。
だから、アメーバみたいに体のつくりが単純な原生生物かと思いきや、消化管や脳神経系を備えているっていうんだから、どうにもこうにも。。。おまけに目なんてヒラメみたいに寄り目でパーマンの目のように愛くるしいのだ。やっぱ、すげ~。

一体のプラナリアが切断されて、複数のプラナリアに再生される時って、どういう感覚なのだろうか。
例えば、上から縦に、ていうのは左右に真っ二つに切断された場合はというと、、、

プラナリア「痛っ!うぅ、後頭部から背中にかけて切れ目が・・・ああ、あれか。そういや、この前、仲間が人間にナイフで体をちょん切られていたっけ。俺を切断しようってのか。うぅ、ナイフがどんどん体の中に沈み込んでくる。。。苦しい。(意識が朦朧となっていく)」

(切断完了)

右断片プラナリア「何か、左側がひりひりするぜ。ていうか、左の方がよく見えないんですけど。あれ、右目を閉じると(まぶたあるのか!?)、何も見えない。ていうか、左目がなくなっている!?ていうか体の左側なくなっている!?なんか、物足りない感じがする・・・だんだん、左側の痛みがなくなっていく。あれっ?左の方も前のようによく見えるようになったし、なんだか、昔のような充足した感じになってきたぞ。」

左断片プラナリア「    」:上記の右側くんの「右」と「左」を交互に変換してください(笑)

いや~、左右じゃなくて、上下に頭と胴体に切断していた方がより本質的だったかも。まあいいか。
しかし、どうなのだろうか。こんなんでいいのだろうか?

右側くんは、これから一個の新しい個体として再生し、このさき、切断される以前の体の右側で経験してきた感覚なり、記憶?のみが保持されて生きていくということになるのか。それとも、そもそも記憶は、切断前の体全体に遍在していて、切断前の左側の経験も保持されているのか?
ここで「一個の私であるという感覚を持続している(記憶の保持も含む)」心的状態を「私」性というとする。
どうやら私がプラナリアについて想像したくなったのは、左右に切断されたプラナリアは、どういう「私」性を経験しているのだろうかということに関係しているのだろう。
ここでは、期せずして「意識が朦朧となっていく」という風に誤魔化してしまったようだ。もともとあった一つの「私」性から右の「私」性と左の「私」性の関係はどうなっているのか。いや、どのように「私」性の持続なり断絶なり飛躍なりが体験されているのだろうか。やっぱ、上下切断の胴体部分の感覚(気持ち)を想像するしかないか。。。

尻尾断片プラナリア「何も見えない。。。やたら身が軽くなったが、あれ、なんか食べようにも口がない!?・・・」以下、アホらしくなったのでやめます。
というのも、ここでようやく、尻尾にしてみたところで、断片に分かれた後の世界から出発しているので、何の解決にもならないことに気付いたからです。。。(知らぬ間に脳至上主義者的に考えとったは。いかん、いかん。)
やはり、記憶の持続性というのが、本質的なイシューなのか。。。

あなたは、どう思いますか?

弥来成真 

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