弥来成真の世界

瞑想(Meditation)小説。世界の奥へと誘います。

魂が揺れる

魂が揺れる

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石牟礼道子(いしむれみちこ)さんが「魂ゆらぐ刻を」というエッセイの中で次のように述べておられ,はっとしました。

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   日本語の「考える」という言葉をアイヌ語では、「魂がゆれる」というのだと知りました。魂がゆれるといえば思い当たります。私たちにまだ残っているあの、語らぬ思いや数かぎりない断念です。たぶんこれは近代的な権利意識とは無縁な、表現以前のデリカシーです。それが今も、アイヌの地に魂の安らぐ時があって、人は言葉以前に魂同士、あるいは山川草木と共にゆれあっているというのです。あらためて、病としての文明が、わたしたちの感性を覆っているのに思いあたります。妙な色の、鱗のようなそれを、脱ぎ捨てたい願望と共に。
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石牟礼さんは,小説家特有の感性と洞察力によって「魂がゆれる」という一言からその根源的な形態は,魂同士の会合により魂同士が揺れ合っていることなのだと喝破されている。「考える」ということを巡って,森羅万象に霊魂が宿るというアニミズムを基調とするアイヌ文化の本質に触れることが出来て静かな感動に満たされました。
近代文明にどっぷりと浸かってしまっている私などが考える際には,ついつい,一個の独立した自我という枠組みの中でのみ思いを巡らせてしまいがちなのですが,そんな行為(思考方法)は,「真実」とは無縁の所詮ひとりよがりの知の戯れに過ぎないだろう。
「考える」という営みの本質が魂同士の会合と揺れ合いにあると気付くこと。芭蕉の「松のことは松に習え…」を主題にした前回のエントリーに関連付ければ,「松に習う」とは,松の魂と私の魂が揺れ合うという事態,そのような松との会合という経験をきっかけとして,私がこの世界,存在,時間,生と死についてまさに「考える」ということなのだと思い至りました。
あなたの魂は揺れていますか?

  弥来成真 

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