弥来成真の世界

瞑想(Meditation)小説。世界の奥へと誘います。

「真実」と「デクノボーの問い」

「真実」と「デクノボーの問い」

このエントリーをはてなブックマークに追加

想えば、若い頃から,ってまだまだ若造だと思っておりますが(笑),「世界とは何か?」「存在とは何か?」「人生とは何か?」というような,「無用な戯言」と言われるようなこと(そんなこと分からなくても死にはしないよ。時間の無駄でしょ,と揶揄されるようなこと)にしか心底心惹かれることはありませんでした。それは,そのような問いにしか「真実」というものの手触りを感じることが出来なかったからだと思います。(私にとって「真実」とはそのような意味を担っている言葉です。)

もちろん,科学や数学やその他の自然の神秘を解き明かしてくれる学問は興味深いし,数々の発見や発明は素晴らしいものだと思いますが,我を忘れて夢中になることはありませんでした。「存在」「世界」「人生」こそ,科学を始めとする諸学問を成立させる土台である。そもそも土台の上の存在者を扱う方法論しか有しない営為に,土台そのものを問い詰め,解明することは原理的に不可能なのだから,学問に存在者に関する「普遍の原理」は解明できても,学問から「真実」は出てきようがない。

「存在」「世界」「人生」という土台そのものに真正面から挑んでいるのは,「デクノボーの問い」(前回エントリー)なのではないだろうか。「デクノボーの問い」は土台や地平そのものを超越しようとする,つまり「真実」への意志の言葉による表現なのだ。(それだからこそ、土台の上で成り立っている実利的な言語ゲームからみれば「無意味だ」となってしまう。)
 
「真実」への門(突破口,手がかり)になり得る「デクノボーの問い」を設定し,丹念に展開していく営みこそ,私にとっての芸術や文学であり,「真実」は,その営みを続けていく中で,ある時,恩寵のようにもたらされるのだと思う。

 弥来成真 

« »

コメントを残す

メールアドレスが公開されることはありません。 * が付いている欄は必須項目です